【その1】

アメリカン・フォークソングとの遭遇


 中学3年の時、同級生のS君がみんなを集め、The Brothers Fourというワシントン大学の4人組のGreen Fieldsという歌を聴かせてくれた。ギターとベースだけのシンプルな伴奏に、きれいなハーモニーのついた歌声に新鮮な驚きを受けたものだ。S君指導の もと、昼休みになるとみんなで♪~Once there were green fields, kissed by the sun~♪と歌っていたものだった。

 S君はインドのイギリスの小学校に通っていたので英語が堪能。彼の家に行くと、これまでに聴いたことのないアメリカのレコードがたくさんあった。いろいろ解説を聞きながら、新しい音楽を楽しんだものだった。アメリカのフォークソングに興味を持ち始めて半世紀以上になる。

 「英語の勉強にはラジオでFENを聞くといいよ。特に天気予報はおすすめだ。決まった言葉が出てくるので、耳慣らしにはいいよ」ということも彼から学ん だ。FENは進駐軍放送といっていたかと思うが、○○軍曹がDJで、軽妙な喋り(内容はまったく理解できず)の合間に、ヒット曲をたくさん流していた。

 ある日のFENから流れて来た曲に、なぜかとても引きつけられた。ギターではない軽やかな弦楽器のイントロが流れ、その後に台詞が入っている。そしてお もむろに♪~腹が減った、ドーリャー、腹が減ったんだー~♪と聞こえる(本当にそう聞こえたのかは疑問。そのように替え歌にして楽しんでいたというのが本 当かもしれない)コーラスが流れる。それ以降、FENをつけるたびに、この曲が流れるのを待ちわびていた。

 後でわかったのは、これはThe Kingston Trioというグループが歌うTom Dooleyという曲で、ビルボードのヒット
チャート1位を獲得し、全米で大ヒットしたということ。そして、イントロで使われた楽器はBanjoという名前の楽器であること。

 それ以降、アメリカのフォークソングにのめり込み、前述の2つのグループの他、Pete, Paul & Maryという女一人、男二人のグループなどレコードがでるたびに買いあさり、すり減るまで聴き続けたものだった。しかし、乏しい英語力では、歌詞の意味 するところを半分も理解できずにいたのである。

 余談ながら、レコードを購入したのは荻窪駅の北口にあった「新星堂」(本店は高円寺)という小さな店。親切な女性(おばさん)が一人で切り盛りしている 店だったが、あれよあれよという間に大きくなり、荻窪公会堂の隣に自社ビルを構え、新宿などの繁華街にいくつもの店を持ち、東証に上場するまでに急成長し た。小さな店のころに切り盛りしていた女性は確か専務になったと記憶している。ところが、バブル崩壊とともに衰退し、つい先日、自社ビルも壊されているの を目撃した。本社はつくば市に移転し、店舗数も最盛期よりかなり少なくなったようだ。


 大学時代は、S君をリーダーとするThe New Frontiersというグループでウッドベースを担当し、米軍キャンプや、テレビ局、ラジオ局、学生のフォークイベントなどに参加した。社会人になって からは、グループ時代の友人・Y君が作曲、僕が作詞というコンビで30曲ほどレコードになったが、30代以降は、音楽を聴く機会はめっきりなくなった。そ して、本業に徹し、活字と格闘する20年を過ごした。

 50歳を目前にして、高校時代の仲間8人と、音楽活動を再開。やはり、アメリカのフォークソングをレパートリーにするグループだ。そして、この頃から歌 詞をできるだけ理解しようという気持ちが芽生えてきた。インターネットという便利なツールのおかげで、歌の歌詞だけでなく、その音楽が生まれた背景も知識 として得られるようになったのは幸運だった。

 学校で習ったアメリカ史は、1620年のメイフラワー号から始まる移民の次は、1776年の独立戦争、1861年からの南北戦争くらいだったが、17世 紀の移民初期の歌、西部開拓史に絡んだ歌、南軍や北軍で歌われた歌、大陸横断鉄道にまつわる歌、ゴールドラッシュに関わる歌、ガンマンやアウトローを讃え る歌などさまざまな歴史の背景を学ぶことができた。また、イギリスからの移民だけでなく、アイルランド、ドイツ、フランス、オランダなどヨーロッパ各地か
らの移民も、歌をたくさん持ち込み、それらの歌の中身を知ることで、教科書では学べない庶民文化に触れることができた。

  アメリカの移民史に興味を持ち始めたきっかけは、The Kingston Trioが歌ったFarewellという曲だった。曲のクレジットは、あのBob Dylanということで注目していた。内容は、恋人との別れを歌った単純なラブソングという理解だったが、実はこの曲は、19世紀半ばに生まれたアイルラ ンド民謡のThe Leaving Of Liverpoolを元歌にしたものだった。19世紀半ばのアイルランドは、主要生産物であったジャガイモ飢饉が続き、食えなくなった農民が大挙して新天 地であるアメリカに移民を開始した。1841年からの10年間で約150万人が餓死、または国外脱出をしたといわれている。

 この歌は、まさにアイルランドからアメリカに向かう船に、ビートルズの故郷であるリバプールの港から乗り込んだ男が、故郷に残した恋人を歌ったものだっ たのである。そして、その移民船はアメリカのヒーローの名を冠した「デビー・クロケット号」という名前だという事実も歌詞から読み取れた。

 かつてル・クプルという男女二人組が歌って日本でも有名になったWater Is Wideという名曲も、同じくリバプールからアメリカに向かう歌で、やはり故郷に残した恋人に対する深い愛情を歌ったものだ。Water=大西洋ということも、この歌から学んだ。

いや~あ、フォークソングって、本当におもしろいですねぇ!……(②へ続く)