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【その7】 トム・ドゥリーは冤罪の被害者? 僕がアメリカのフォークソングにのめり込むきっかけとなった曲が、The Kingston Trioが歌った”Tom Dooley”だった。アメリカでの発売が1958年だから、僕がラジオにかじりついて聴いていたのは中学時代だ。ビルボード誌のヒットチャート1位に輝 いたということで、一日に何度も米軍極東放送(FEN)で聴くことができた。 ♫タターンタ、タッター、ターター…… バンジョーの単音弾きのメロディーが流れる中、次のような語りで始まる。 Throughout history, there have been many songs written about the eternal triangle This next one tells the story of Mister Grayson, a beautiful woman, and a condemned man named Tom Dooley. When the sun rises tomorrow, Tom Dooley must hang. 美しいメロディーとは裏腹に、三角関係のもつれによる殺人、そして犯人の絞首刑という血なまぐさい歌だった。この歌により、フォークソングでよく使われ るバンジョーという楽器を知り、Triangleに「三角関係」という意味があることを知った。 後で調べてみると、この歌のストーリーは実話に基づいたものであった。1866年に、アメリカのノースカロライナ州で起きた、Tom C. Dula(左の写真)という元南軍兵士が、恋人であったLaura Fosterが、浮気したと疑い刺殺した(らしい)事件の顛末を歌ったもの。歌詞からはMr. Graysonが浮気相手のようであるが、実際は違った。もっと複雑だったようである。 事件後、逮捕されたTomは、犯行を否認しながらも、「責任は自分にある」と述べ、自ら進んで絞首台の露と消えた。後の調査で、明確な真実は判明しな かったものの、Lauraの従姉であるAnn Fosterの嫉妬による犯行(Tomは二股をかけていた?)であることが濃厚だったという。これが正しいとすれば、Mr. Graysonはとんだとばっちりだったといえる。 この事件後、冤罪のTomを哀れんでできたのがTom Dooleyだった。だから、歌の最後は、 Poor boy, you’re bound to die と締めくくられている。 下の写真は、TomとLauraの墓である。 このように、フォークソングに は、実際の事件を題材にしたものが多い。言ってみれば、瓦版のような役割を果たしていたのではないかと思う。二人の墓は名所のようになり、多くの観光客が 訪れ、花を手向けている。 このTomの物語は、1959年にMichael Landon主演で"The Legend Of Tom Dooley”(邦題:『拳銃に泣くトム・ドゥーリー』として映画化された。 さらに、Tomの名前を冠したバーボン・ウィスキーも発売されているというから、無実の罪で、 22歳の若さでこの世を去った悲劇の主人公は、事件の起きたノースカロライナ州だけではなく、全 国的な知名度を獲得し、多くの人に歌い継がれるようになっ た。 次は、1941年に起きた、駆逐艦Reuben James号の沈没である。10月23日にニューファン ドランドのアージェンティア海軍基地から、船団を護衛する ため他の駆逐艦4隻と共に出港。10月31 日、ドイツのUボートにより魚雷攻撃を受け、弾薬庫の誘爆で艦首が吹き飛び沈没した。これにより、艦長を含む115名が死亡し、 44名が救出された、という事件である。 これは、同年12月7日の、日本のパールハーバー攻撃の前に起きたものであり、アメリカはまだ第2次世界大戦に参戦表明はしてい ない時期だった。 フォークソングの父と呼ばれるWoody Guthrieが115名の死者を悼む心から、事件翌年の1942年に書いたのが”Sinking Of The Ruben James(ルーベン・ジェームス号の沈没)”だ。フォークソングで有名な”Wildwood Flower”のメロディーを借り、新たな詩をつけたものである。歌のポイントはリフレインの歌詞にある。 Oh, tell me, what were their names, tell me, what were their names? Did you havea friend on the good Reuben James? Oh, tell me, what were their names, tell me, what were their names? Did you have a friend on the good Reuben James? 死者たちにはそれぞれ立派な名前があり、家族もいる。あなたの友だちにも乗組員がいたんじゃないの? と問いかける。 この歌は、Woodyが属していたAlmanac Singersによって歌われた。他のメンバーには、「花はどこへ行った?」で知られるPete Seegerや「七つの水仙」の作者Lee Haysなどがおり、後にPete Seeger、Lee HaysにFred Hellerman、Ronnie Gilbertを加えた4人が、モダン・フォークソング時代の扉を開けたThe Weaversを結成する。The Weaversもまたこの歌を歌った。そして、我がアイドルグループThe Kingston Trioも1961年に発売された”Close Up”というアルバムの中で”Ruben James"のタイトルで歌っている。 もう一つ、Woodyが書いた実話に基づく歌を紹介しよう。 1948年1月28日に起きた、DC-3C型機がカリフォルニア州フレズノ近郊のロス・ガスト峡谷に墜落した事故を歌った”Deportee(強制送還 者)”という曲である。 この飛行機は移民局のチャーター機で、不法就労者とされたメキシコ人28名と4人のアメリカ人が搭乗していた。しかし、アメリカ人のみ氏名が報道され、 メキシコ人の氏名は一切公表されなかった。 事件には裏があった。メキシコ人は不法就労者ではなく、1947年の米墨協定で、カリフォルニアの果樹園の短期季節労働者として入国が認められた人たち だったのである。しかし、悪徳果樹園主は労働期間が終わり、賃金の支払時期が近づくと、「不法労働者」として当局に通報し、賃金未払いのままメキシコに強 制送還させることを繰り返し荒稼ぎしていた。この事故は、このような背景の中に起きた悲劇だった。 (興味のある方は、下記URLからYouTube参照) https://www.youtube.com/watch?v=flkuZJ1did8 無念の死を遂げ、しかも名前も公表されなかったメキシコ人を想い、Woodyは歌詞の中にJuan、Rosalita、Jesus、Mariaとメキシ コ人に名前を与えた。そして、 Adios, Mi Amigo(さらば、我が友よ)と告げている。 WoodyやThe Weaversのメンバーは、1953年に始まった「赤狩り」により弾圧を受けた。戦争反対を唱え、弱者である組合活動を応援する歌を歌ったことなどによ るものであった。しかし、彼らは共産主義者ではなく、人間に対する深い愛情を持った人々であった。彼らの書いた歌を聴き、詩を読むことでそれがよくわか る。 ★ いや~あ、フォークソングって、本当におもしろいですねぇ!……(続く) |
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