PROFILE
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■安藤利雄 ■6弦ギター ■高校2年の時に中学校の同級生と初めてバンドを組みブラフォー、キントンに出会う。その際に柴山君とも知り合う■大学時代は、FOLK34でオリジナルを中心に活動、その後改名をして「三銃士 」に■2年の時に曲を作っていた仲間がフランスに留学してしまいメンバーを補充して活動したがレパートリーが増えずに自然消滅■そして32年後にクラブの仲間である川戸君、柴山君とRAMBLERSを結成■東京都在住、昨年仲間では初めてと思われる孫が誕生 ■川戸 和男 ■ギター・バンジョー ■高校三年の秋の文化祭まで4人組フォークグループで出演するなどバンド活動継続。その後、ザ・リガニーズの「海は恋してる」をラジオの深夜放送で聴きながら受験勉強し、早稲田大学入学後、フォークソングクラブに入会したら、そのザ・リガニーズが同じクラブの先輩でビックリ。■大学生時代はJINXなどに所属、キングストン・トリオ→MFQ→CSNYとコピーバンドに徹し、何故か当時の若い女性向け雑誌「セブンティ−ン」のグループサウンズ人気投票で272位となる■2000年12月、 フォークドリーマーズのライブでキングストンマークV、ジンフィズなどの演奏を聴きバンド活動再開を決意、学生時代のバンド「ジンクス」を再結成、キント ン狂いの柴山君のために「ランブラーズ」にも参加し、「ランブラーズ」のライブではキントン、MFQ,PPMとやりたい放題で他メンバーから羨ましがられ ている。 ■息子三人、妻一人、横浜在住。
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■柴山英次 ■6弦ギター・12弦ギター ◆小学校4年生の頃か、ラジオで「ヘンダンヨヘッダン、ドゥーリー」を聞いたのは。◆中学2年、カントリー風バンド「Hungry Boys」を結成。同じ中学の3年先輩 「New Frontiers」を聞き、大驚愕。キングストン・トリオを初めて意識する。◆中学3年、バンドをトリオに再編成「ローファーズ」と改名。以降、高校3年まで活動。1年後輩「Reveries」とともに、杉並公民館を拠点に「フォークの集い」を主催。現「Roving Gamblers」の安井、三田、横田君らのバンドにも参加してもらう。高校の級友を通じ、安藤君を知る。(この頃は同級なので、ため口)◆一 浪後、早稲田大学に入学。「アメリカ民謡研究会」に入ろうと新入生勧誘の出店をうろうろしていたところ、突然安藤さん(彼は現役で入学したため、1級上に なってしまった)から声をかけられ、そのまま「フォークソングクラブ=WFS」に入部。「アメ・研」に入っていたら、今頃「Kingston Mark V」に居たかもしれない…?◆大学2年、クラブを代表するバンド「ザ・リガニーズ」の2代目を継承し、3年冬まで活動。現「Folk Dreamers」の貞末君もFenderのベースを引っさげて加入。時が過ぎ、年を経て…◆00年12月、貞末君から信濃町「ジョン・万次郎」でのフォークライブの誘いを受け、そこで「Kingston MarkV」「JIN Fizz」「Folk Dreamers」らの演奏に触発され、安藤さん、川戸さん同様、バンド活動再開を思う。◆01年8月、安藤、川戸さんとでバンド結成を図り野辺山で合宿。11月「WFS OB・OG会」で初ステージ。テーマ曲 My Rambling Boy から「Ramblers」と命名。 ◆ 「BACK IN TOWN」という絶好の場の存在もあり、活動現在に至る。 ■好きなもの ビール、ハムカツ、枝豆、ポテトサラダ、キムチ ■嫌いなもの ミルク、プリン、グリーンピース、鳴門巻、かたやきそば
■貞末俊一 ■ベース ■早稲田大学・フォークソングクラブ時代の仲間。RAMBLERS のベースサポートをやってもらっている。■当時から音楽に対する造詣が深く、特にC・S・N&YやC・C・R、The BAND、 ニッティ・グリッティ・DB等、ロック、ブルース系に傾倒する。■その音楽性の高さから、ユーティリティプレイヤーとしてクラブ内の様々なバンドで活躍 し、柴山とともに2代目「ザ・リガニーズ」にもベースとして参加。■安藤、川戸とも麻雀を通じての付合いが深く、人の好い彼は二人に対してのみならず、多 くのクラブ仲間の経済的スポンサーでもあった。■数年前、ひよんなことから、仕事で関係のあった「アメリカ民謡研究会」のOBとバンドを組むことになり、自らの音楽活動を再開。■現在、日本のフォークを中心に歌い、独自の存在感を出す「FOLK DREAMERS」のベースマンとして活躍中。■学生時代から弾き続け、使い込んだフェンダーのジャズベースから叩き出されるフレーズにはとても素人技とは思えない凄まじいものがある。■一度、じっくりと彼のベース音を聞いて頂きたい。本業は大手カラオケ・メーカーの音楽制作担当である。 |